ナイスネイチャとは?【競走馬プロフィール】
ナイスネイチャは1990年代前半のGI戦線を長く賑わせ、有馬記念3年連続3着という稀有な記録でファンの記憶に刻まれた個性派の名馬です。
主戦の松永昌博騎手とともに中距離から長距離まで幅広く好走し、重賞は小倉記念・京都新聞杯・鳴尾記念・高松宮杯の4勝を挙げました。
父はカナダの名種牡馬ナイスダンサー、母ウラカワミユキという配合で、持続力とコーナーで脚を溜める器用さを武器に安定感の高い戦いを続けました。
惜敗の多さから「ブロンズコレクター」と呼ばれつつも、堅実な末脚で馬券圏内を外さない走りが支持され、引退後は功労馬として長く愛され、誕生日ドネーションの象徴となるなど公益的な存在にもなりました。
通算41戦7勝(重賞4勝)、代表的な好走相手にはメジロマックイーン、メジロパーマー、トウカイテイオー、ビワハヤヒデ、ナリタブライアンらが並びます。
生年月日 | 1988年4月16日 |
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性別・毛色 | 牡・鹿毛 |
生産 | 渡辺牧場(北海道浦河町) |
調教師 | 松永善晴(栗東) |
馬主 | 豊嶋泰三 |
通算成績 | 41戦7勝(重賞4勝) |
主な勝ち鞍 | 1991年小倉記念(G3)/1991年京都新聞杯(G2)/1991年鳴尾記念(G2)/1994年高松宮杯(G2) |
父 | ナイスダンサー |
母 | ウラカワミユキ(母父:ハビトニー) |
目次
本記事では血統背景、デビューまでの歩み、主要重賞を含む競走成績の推移、名レースBEST5、同世代比較、競走スタイル、引退後の歩みを順に解説します。
各章は句点ごとに改行し、重要語句は赤マーカーで強調し、馬名は青マーカーで示します。
必要に応じて目次から各章へ移動し、知りたいトピックをピンポイントでご覧ください。
- ナイスネイチャの血統背景と特徴
- ナイスネイチャのデビューまでの歩み
- ナイスネイチャの競走成績とレース内容の詳細
- ナイスネイチャの名レースBEST5
- ナイスネイチャの同世代・ライバルとの比較
- ナイスネイチャの競走スタイルと得意条件
- ナイスネイチャの引退後の活動と功績
- ナイスネイチャのよくある質問(FAQ)
- ナイスネイチャの成績表
- ナイスネイチャのまとめ
ナイスネイチャの血統背景と特徴
ナイスネイチャは父ナイスダンサー、母ウラカワミユキという配合で、北米由来の持続的なスピードと日本芝へ適した軽いフットワークを両立させた血統です。
父系はノーザンダンサー系の厚いスタミナと器用さが核にあり、直線だけでなくコーナーでじわっと脚を使える点が特徴です。
母方からは先行しても差しても脚色が鈍らない巡航力を受け継ぎ、上がりの速さに依存し過ぎない点が長所でした。
また気性的にはレース間隔が詰まってもパフォーマンスを維持しやすく、タフなローテーションでも崩れにくいのが強みでした。
G1では勝ち切れないレースも多かった一方で、混戦の持久力勝負やコーナー4つの持続戦に強く、総合的な完成度の高さで長期にわたり一線級と対等に戦いました。
このバランスの良さが有馬記念3年連続3着や度重なる上位入線に直結し、ファンの信頼を集める礎になりました。
ナイスネイチャの父馬・母馬の戦績と特徴
父ナイスダンサーは北米で重賞実績を残し、産駒は総じてコーナーでスピードを持続させる適性を示しました。
その資質はナイスネイチャにも色濃く伝わり、道中でラップが緩まない展開でも脚色が鈍らず、終いまで長く良い脚を使える形で表れました。
母ウラカワミユキは日本の生産地で培われた実直な体質を伝え、反復出走に耐える頑健さと、輸送を苦にしない遠征耐性を裏付けました。
母父ハビトニー由来の前向きさは先行しても差し込んでも折り合いを欠かない制御性として機能し、道中のロスを抑える走りに寄与しました。
こうした父母の長所の合成により、瞬発一点型ではないものの、相手や馬場を問わずに高位安定で走れる万能性が形成されました。
結果としてメジロマックイーン、メジロパーマー、トウカイテイオー、ビワハヤヒデ、ナリタブライアンといった当代随一の名馬たちとも互角に渡り合い、長く上位争いを演じる土台になりました。
ナイスネイチャの血統から見る適性距離と馬場
配合の示唆通り、ベストは1800〜2500メートルの持続戦で、平均からやや速い流れをロスなく運ぶと末脚の質が最大化します。
瞬発力勝負でも対応はできますが、直線だけで決着する切れ味比べより、コーナーで加速を継続するロングスパート戦で真価を発揮しました。
馬場は良〜稍重がベターで、渋ってもパワーに依存しすぎないフォームのため極端にパフォーマンスを落としませんでした。
スタート直後の二完歩で位置を確保し、隊列が固まる前にポジションを取り切ると、道中のコーナー減速を最小化して末脚を温存できます。
大型馬のパワー型とは違い、機動力で立ち回るため内枠や小回りでも強みを出しやすく、展開不問の安定感が強調されます。
これらの適性はキャリア全般を通じて一貫しており、厳しい相手関係でも凡走が少ない「堅実派」のイメージを確立しました。
ナイスネイチャのデビューまでの歩み
幼少期から柔らかな繋ぎとバネのあるフットワークが目立ち、育成段階ではキャンターでの身体の使い方が秀逸でした。
気性は素直で扱いやすく、調教を積むほどフォームが安定するタイプで、負荷を上げても反動が少ない体質が評価されました。
ゲートの出自体は速くも遅くもない標準的な部類でしたが、二完歩でスッと加速して位置を取れる機動力がありました。
デビューは京都の芝1200メートルで僅差の2着と素質を見せ、続くダート1400メートルの新馬戦で初勝利を掴み、芝・ダートの両面で適性を示しました。
以後は2000メートル前後へ距離を伸ばし、春先の特別戦を経て夏の小倉開催で条件戦を連勝、勢いのまま重賞路線に乗っていきました。
その間も反復出走でパフォーマンスを落としにくく、厩舎サイドは「レースで鍛えて良くなる」タイプとしてローテを柔軟に組み立てました。
ナイスネイチャの幼少期から育成牧場での様子
放牧地では肩から背中にかけての連動が滑らかで、首を柔らかく使って地面を捉える軽快なキャンターが印象的でした。
馴致期から鞍上の指示に素直に反応し、集団調教でも周囲に影響されにくい集中力を発揮していました。
坂路では息の入りが早く、追ってからのラップの落ち込みが小さいため、ビルドアップ型の追い切りで持久力を底上げできるタイプでした。
負荷を重ねるほど筋肉の張りが良化し、踏み込みが深くなって推進力が増すため、中距離以上での将来性が早くから示唆されました。
獣医チェックでも大きな不安は少なく、可動域の広さと腱のしなやかさが褒められ、実戦へ進んでも疲労の蓄積が表に出にくい体質でした。
これらのベースが、長丁場の一線級相手でも崩れない安定感へとつながっていきます。
ナイスネイチャの調教師との出会いとデビュー前の評価
栗東・松永善晴厩舎では、基礎期にウッドのロングキャンターと坂路強化を併用し、心肺機能とフォームの連動性を高めました。
追い切りは終い重点のパターンが多く、道中で脚を溜めてラスト1ハロンで伸びを測るメニューが主体でした。
助手や松永昌博騎手の評価は「バネがあり、追っての反応が鈍らない」「実戦で相手が強くなるほど良さが出る」というもので、競り合いでの勝負根性にも太鼓判が押されていました。
デビュー前から2000メートル前後に照準を合わせ、ペース変化に強い持続型のパフォーマンスを育てる方針が徹底されました。
その戦略は夏の小倉での連勝から小倉記念制覇、秋の京都新聞杯勝ちにつながり、以後のGI戦線でも土台となりました。
ナイスネイチャの競走成績とレース内容の詳細
デビュー2戦で芝・ダート双方に対応して素質を示し、3歳夏(現3歳=旧4歳)に条件戦を連勝すると小倉記念を快勝しました。
秋は京都新聞杯を制して世代上位へ躍進し、菊花賞4着、有馬記念3着でクラシック・古馬混合の頂点でも通用することを証明しました。
翌年は秋に毎日王冠3着、天皇賞(秋)4着、マイルチャンピオンシップ3着、有馬記念3着とハイレベルに安定、以後も春秋の大舞台で度々上位を確保しました。
6歳時には高松宮杯を制して約1年半ぶりの勝利を飾り、世代最強クラスと互角に渡り合う総合力の高さを再認識させました。
ラストシーズンも重賞で掲示板を確保し、最後まで強豪を相手に戦い抜いたキャリアは、堅実さの代名詞として競馬ファンに深く刻まれました。
ナイスネイチャの新馬戦での走りとその後の成長
初陣は京都芝1200メートルで僅差の2着とスピードを示し、続くダート1400メートルの新馬で勝ち上がり、馬場適性の広さを早々に証明しました。
春の特別では折り合いを覚えながらも末脚の持続性を見せ、夏の小倉で条件戦を連勝して自信を深めました。
その勢いのまま小倉記念を先行抜け出しで制し、秋の京都新聞杯でも直線で渋太く脚を伸ばして重賞2連勝を達成しました。
以後はG1の高い壁に挑む局面が増えましたが、コーナー4つの持続戦と内回りの立ち回り戦で安定感を発揮し、有馬記念3年連続3着という偉業につながりました。
学習曲線は右肩上がりで、厳しい相手と当たるほどパフォーマンスの再現性が高まるタイプでした。
ナイスネイチャの主要重賞での戦績と印象的な勝利
圧巻は1994年の高松宮杯で、好位で脚を温存して直線入り口でスムーズに進路を確保し、最後は力強く抜け出しました。
1991年の京都新聞杯は平均的に流れる中で長く脚を使い、内回りの機動力で押し切る内容でした。
同年の鳴尾記念は距離延長の芝2500メートルでもバテず、巡航速度の高さで完勝しました。
G1では惜敗が続いたものの、毎日王冠や天皇賞(秋)で上位と差のない競馬を繰り返し、相手レベルの高い舞台でも明確な存在感を示しました。
勝ち切る決め手では劣っても、ポジショニングとロスの少なさでカバーし、総合力でゴール前まで食い下がるレース運びが光りました。
ナイスネイチャの敗戦から学んだ課題と改善点
直線の瞬発力比べではキレ味特化型に一歩譲ることがあり、位置取りの工夫と早め進出で弱点を補う戦略が鍵でした。
外枠やスローペースでの瞬発勝負では届かない場面もあり、道中でのロングスパートをチームとして意識して再現性を高めました。
また馬場が速い東京コースの千八〜二千では内で脚を溜める工夫が必要で、コース取りの最適化が課題でした。
一方で阪神・中山の内回りや小倉のような機動力コースでは長所が際立ち、適条件の見極めが勝敗を左右しました。
敗戦の度に修正を重ねた結果、G1の大舞台でも安定して上位を確保できる「崩れない競走馬」の完成形に到達しました。
ナイスネイチャの名レースBEST5
ナイスネイチャの名レース第5位:1992年 マイルチャンピオンシップ(G1)
マイル路線の一線級が揃った一戦で、距離短縮かつ超高速決着という厳しい条件にもかかわらず、ナイスネイチャは道中ロスなく立ち回り、直線半ばで最内から鋭く伸びて3着を確保しました。
勝ち馬ダイタクヘリオスの独特のペース形成で早めに流れが締まりましたが、スピード負荷の高い流れでも脚が鈍らない持久力が光りました。
マイルでの通用性を示したことは中距離戦での位置取りの重要性を再確認させ、以降の天皇賞(秋)や有馬記念でも序盤からの主導権争いに前向きに関与できる手応えを与えました。
距離の融通性とラップ耐性を示した意味で、キャリアの中でも学びの多い3着でした。
ナイスネイチャの名レース第4位:1993年 産經大阪杯(G2)
春の指標となる中距離G2で、当時の最強格メジロマックイーンを相手に2着と健闘しました。
道中はラップの緩急が大きく、向正面からの加速局面で置かれそうになりながらも、コーナーワークでロスなく取り付き、直線ではしぶとく食らいつきました。
絶対能力で劣る相手に対しても、位置取りとコース取りで差を詰める「現実的な戦い方」を体現した内容で、チームの戦術的完成度が伝わる一戦でした。
以後の春シーズンでもこの運びを再現し、G1での上位安定に直結しました。
ナイスネイチャの名レース第3位:1991年 京都新聞杯(G2)
世代の主力が揃う重要な前哨戦で、ナイスネイチャは中団からロスの少ない立ち回りで進出し、直線では長く脚を使って押し切りました。
全体に緩みの少ない持続戦となり、内回りの機動力とコーナーで加速を続けられる特性が最大限に発揮されました。
この勝利が秋の菊花賞・冬の有馬記念での上位好走の礎となり、以後の中距離〜長距離路線での主役級としての地位を確固たるものにしました。
ナイスネイチャの名レース第2位:1994年 高松宮杯(G2)
久々の勝利が求められた重圧の中で、好位追走から直線で力強く抜け出し、重賞4勝目を手にしました。
仕掛けのタイミングが完璧で、3〜4コーナーの進入で最短距離を通しつつ、直線入り口で進路を確保する冷静な判断が勝因でした。
当時の強豪相手に地力でねじ伏せた内容は、年齢を重ねても競走能力が衰えていないことを証明し、ファンの支持をさらに高めました。
ナイスネイチャの名レース第1位:1991年 有馬記念(G1・3着)〜1993年 有馬記念(G1・3着)
直接の勝利ではありませんが、有馬記念での3年連続3着は競走馬としての完成度と再現性を象徴する偉業でした。
1991年はダイユウサクの奇襲的な逃げ切りの中で直線しぶとく脚を伸ばし、1992年はメジロパーマーの大逃げに動じず最内を捌いて3着、1993年は復活のトウカイテイオーが勝つ高レベル戦でも崩れませんでした。
相手や展開が異なる中で同じパフォーマンスを再現した点にこそ価値があり、ナイスネイチャの本質である「強豪相手に崩れない持続力」が凝縮されています。
ナイスネイチャの同世代・ライバルとの比較
同世代および同時期の古馬にはトウカイテイオー、メジロマックイーン、メジロパーマー、ヤマニンゼファー、ビワハヤヒデ、ナリタブライアンら錚々たる顔ぶれが揃いました。
それらの名馬と対戦を重ねながらも度々上位に食い込み、レーティングや指標面で上位に位置したのは、位置取りと持続力で勝負する明確なスタイルがあったからです。
ピークの絶対値こそ一枚劣る場面はあっても、条件が変わっても大崩れしない再現性が、年間を通じた信頼度の高さにつながりました。
ナイスネイチャの世代トップクラスとの直接対決
メジロマックイーンやトウカイテイオーとの対戦では勝ち切れなかったものの、隊列が縦長になりやすい持続戦で接戦を演じました。
特に産經大阪杯や毎日王冠ではコース取りの妙で差を詰め、能力差を戦術で補いました。
またメジロパーマーの大逃げに対応した1992年の有馬記念3着や、スピード競馬のマイルチャンピオンシップ3着は距離の融通性を示す材料でした。
総じて「最強格に正攻法で肉薄する」ことに価値があり、勝ち切りよりも強豪に崩されないことで評価を高めた競走馬でした。
ナイスネイチャのライバルが競走成績に与えた影響
強力な同時代の存在は、ナイスネイチャの戦い方を研ぎ澄ませました。
直線勝負で分が悪い相手には、3〜4コーナーでの進出角度を工夫して先に脚を使わせ、最後は渋太さで粘り込みます。
逃げ・先行勢が揃うときは、序盤に無理をせず向正面で自然に進出する「待ち」の戦法で脚を温存し、直線で持ち味を発揮しました。
結果として、どの舞台でも一定以上のパフォーマンスを再現できる「総合力型」としての評価が固まりました。
ナイスネイチャの競走スタイルと得意条件
理想は先行〜中団で折り合い、3〜4コーナーでロスなくスピードを持続させる運びです。
展開が速い時でも脚色が鈍らないため、ポジションを落とし過ぎなければ直線で必ず脚を使えます。
コースは内回り・小回りで強みが出やすく、阪神・中山・小倉の中距離戦で安定感が際立ちました。
東京の超高速決着ではキレ負けの懸念があるものの、ペースが流れれば対応可能で、天皇賞(秋)や毎日王冠でも上位を確保しています。
ナイスネイチャのレース展開でのポジション取り
スタート後の二完歩で位置を確保し、道中は内々で脚を溜め、向正面で自然に押し上げるのが最適解でした。
仕掛けどころは3コーナー手前からのロングスパートで、直線入り口で進路を確保できれば勝ち負けに加われます。
外を回すロスを嫌い、最短距離を通す判断ができた時にパフォーマンスのブレが小さく、凡走のリスクが激減しました。
枠順は内寄りが理想で、馬群の中でリズムを作れた時に末脚が最大化します。
ナイスネイチャの得意な距離・馬場・季節傾向
距離は1800〜2500メートルがベストで、持続戦になりやすい春の阪神内回りや中山が好相性でした。
馬場は良〜稍重が理想で、渋化でもパワーでこなせるフォームのため大きくは崩れません。
夏競馬の小倉で連勝した通り、暑い時期でもパフォーマンスを維持しやすい体質があり、ローテーションの自由度が高いのも強みでした。
冬場は調整の進度次第で切れ負けの懸念があるため、位置取りの工夫と早め進出で補うのが定石でした。
ナイスネイチャの引退後の活動と功績
引退後は種牡馬として供用され、地方を含めて堅実に走る産駒を送り出しました。
サイアーとして突出したG1馬は出していないものの、父譲りの持久力と堅実さは各地で評価されました。
その後は功労馬として余生を送り、誕生日に合わせた寄付活動「バースデードネーション」の象徴的存在となり、引退後の馬の福祉に対する社会的関心を高めました。
長寿を全うした功労馬として多くの人に親しまれ、競馬の外側でもポジティブな影響を与えた稀有な存在でした。
ナイスネイチャの種牡馬・繁殖牝馬としての実績
産駒はスタミナと粘り強さを受け継ぎ、長い直線よりもコーナーで脚を使う舞台で持ち味を見せる傾向がありました。
レース間隔が詰まっても走れるタフさや、距離融通の広さは父系の特徴として伝わり、各地の条件で息長く活躍しました。
数値上の派手さよりも「現場で頼れる血」として評価され、繁殖牝馬に残した体質の強さも高く評価されました。
ナイスネイチャの産駒の活躍と後世への影響
直接的な後継種牡馬としての成功は限定的でしたが、ナイスネイチャの存在は引退馬支援の文脈で後世に大きな影響を残しました。
ファン参加型の寄付文化の定着は、競馬界における社会貢献の新しいスタンダードを創出し、競走馬のセカンドキャリアへの関心を高めました。
競馬の楽しみ方を「走る」だけから「支える」へ広げた功績は特筆に値し、今後も語り継がれていくでしょう。
ナイスネイチャのよくある質問(FAQ)
Q. 代表的な勝ち鞍と、G1で勝ち切れなかった理由は?
A. 勝ち鞍は小倉記念、京都新聞杯、鳴尾記念、高松宮杯の4つです。
G1で勝ち切れなかった主因は、直線の瞬発力特化型に対して一歩及ばないキレ味の差で、特に東京コースの超高速決着ではポジショニングが難しくなる点が挙げられます。
一方でコーナーで脚を使う持続戦では常に上位に加わり、有馬記念3年連続3着という特異な安定感を示しました。
Q. 得意条件は?どのコースで強みが出ますか?
A. ベストは1800〜2500メートルの持続戦で、阪神・中山・小倉の内回りが好相性です。
良〜稍重でパフォーマンスが安定し、渋化しても極端に落ちません。
東京では流れが締まった時に好走が見込め、位置取りと3〜4コーナーでのロングスパートが鍵になります。
Q. 引退後に与えた最も大きな影響は?
A. 引退馬支援の象徴としてバースデードネーション文化を広め、競馬界の社会的価値を高めた点です。
走るだけでなく支えるという新しい関わり方を提示し、競馬ファンの裾野を広げる契機になりました。
ナイスネイチャの成績表
日付 | 開催 | レース名 | 人気 | 着順 | 騎手 | 距離 | 馬場 | タイム |
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1990/12/02 | 京都 | 新馬 | 3 | 2 | 松永昌博 | 芝1200 | 良 | 1:11.9 |
1990/12/15 | 京都 | 新馬 | 1 | 1 | 松永昌博 | ダ1400 | 良 | 1:26.1 |
1991/01/05 | 京都 | 福寿草特別(500万下) | 3 | 6 | 松永昌博 | 芝2000 | 良 | 2:04.2 |
1991/01/19 | 京都 | 若駒S(OP) | 5 | 3 | 松永昌博 | 芝2000 | 良 | 2:02.5 |
1991/07/06 | 中京 | なでしこ賞(500万下) | 3 | 2 | 松永昌博 | 芝1800 | 稍重 | 1:50.4 |
1991/07/28 | 小倉 | 不知火特別(500万下) | 1 | 1 | 松永昌博 | 芝1800 | 良 | 1:49.8 |
1991/08/10 | 小倉 | はづき賞(900万下) | 1 | 1 | 松永昌博 | 芝1800 | 不良 | 1:49.6 |
1991/08/25 | 小倉 | 小倉記念(G3) | 1 | 1 | 松永昌博 | 芝2000 | 良 | 2:02.7 |
1991/10/13 | 京都 | 京都新聞杯(G2) | 2 | 1 | 松永昌博 | 芝2200 | 良 | 2:15.6 |
1991/11/03 | 京都 | 菊花賞(G1) | 2 | 4 | 松永昌博 | 芝3000 | 良 | 3:09.8 |
1991/12/08 | 阪神 | 鳴尾記念(G2) | 1 | 1 | 松永昌博 | 芝2500 | 良 | 2:36.3 |
1991/12/22 | 中山 | 有馬記念(G1) | 2 | 3 | 松永昌博 | 芝2500 | 良 | 2:31.1 |
1992/10/11 | 東京 | 毎日王冠(G2) | 1 | 3 | 松永昌博 | 芝1800 | 良 | 1:45.9 |
1992/11/01 | 東京 | 天皇賞(秋)(G1) | 2 | 4 | 松永昌博 | 芝2000 | 良 | 1:59.0 |
1992/11/22 | 京都 | マイルチャンピオンシップ(G1) | 4 | 3 | 松永昌博 | 芝1600 | 良 | 1:33.7 |
1992/12/27 | 中山 | 有馬記念(G1) | 4 | 3 | 松永昌博 | 芝2500 | 良 | 2:33.7 |
1993/01/24 | 京都 | 日経新春杯(G2) | 1 | 2 | 松永昌博 | 芝2200 | 良 | 2:14.1 |
1993/03/14 | 阪神 | 阪神大賞典(G2) | 1 | 3 | 南井克巳 | 芝3000 | 良 | 3:09.4 |
1993/04/04 | 阪神 | 産經大阪杯(G2) | 2 | 2 | 松永昌博 | 芝2000 | 良 | 2:04.1 |
1993/10/10 | 東京 | 毎日王冠(G2) | 4 | 3 | 松永昌博 | 芝1800 | 良 | 1:45.9 |
1993/10/31 | 東京 | 天皇賞(秋)(G1) | 2 | 15 | 松永昌博 | 芝2000 | 良 | 2:01.5 |
1993/11/28 | 東京 | ジャパンC(G1) | 15 | 7 | 松永昌博 | 芝2400 | 良 | 2:25.1 |
1993/12/26 | 中山 | 有馬記念(G1) | 10 | 3 | 松永昌博 | 芝2500 | 良 | 2:31.6 |
1994/01/23 | 中山 | AJCC(G2) | 2 | 7 | 松永昌博 | 芝2200 | 良 | 2:14.7 |
1994/04/03 | 阪神 | 産經大阪杯(G2) | 3 | 2 | 松永昌博 | 芝2000 | 良 | 2:01.8 |
1994/04/24 | 阪神 | 天皇賞(春)(G1) | 7 | 4 | 松永昌博 | 芝3200 | 稍重 | 3:23.3 |
1994/06/12 | 阪神 | 宝塚記念(G1) | 3 | 4 | 松永昌博 | 芝2200 | 良 | 2:12.4 |
1994/07/10 | 中京 | 高松宮杯(G2) | 5 | 1 | 松永昌博 | 芝2000 | 良 | 2:00.7 |
1994/10/09 | 東京 | 毎日王冠(G2) | 2 | 6 | 松永昌博 | 芝1800 | 良 | 1:45.1 |
1994/10/30 | 東京 | 天皇賞(秋)(G1) | 6 | 7 | 松永昌博 | 芝2000 | 良 | 1:59.1 |
1994/11/27 | 東京 | ジャパンC(G1) | 11 | 8 | 松永昌博 | 芝2400 | 良 | 2:24.4 |
1994/12/25 | 中山 | 有馬記念(G1) | 11 | 5 | 松永昌博 | 芝2500 | 良 | 2:33.3 |
1995/02/12 | 京都 | 京都記念(G2) | 4 | 2 | 松永昌博 | 芝2200 | 良 | 2:12.0 |
1995/10/08 | 京都 | 京都大賞典(G2) | 5 | 8 | 松永昌博 | 芝2400 | 良 | 2:26.0 |
1995/11/26 | 東京 | ジャパンC(G1) | 13 | 13 | 松永昌博 | 芝2400 | 良 | 2:26.2 |
1995/12/24 | 中山 | 有馬記念(G1) | 10 | 9 | 松永昌博 | 芝2500 | 良 | 2:35.4 |
1996/03/17 | 中京 | 中京記念(G3) | 7 | 4 | 松永昌博 | 芝2000 | 稍重 | 2:02.6 |
1996/04/06 | 中山 | ダービー卿チャレンジT(G3) | 10 | 6 | 松永昌博 | 芝1600 | 良 | 1:33.8 |
1996/05/11 | 京都 | 京阪杯(G3) | 5 | 8 | 松永昌博 | 芝2200 | 良 | 2:13.6 |
1996/10/27 | 東京 | 天皇賞(秋)(G1) | 14 | 10 | 松永昌博 | 芝2000 | 良 | 1:59.7 |
1996/11/16 | 東京 | アルゼンチン共和国杯(G2) | 10 | 15 | 松永昌博 | 芝2500 | 良 | 2:34.0 |
ナイスネイチャのまとめ
ナイスネイチャは芝の中距離〜長距離で堅実に力を示し、強豪相手でも崩れない持続力で長く愛された名馬でした。
血統に裏打ちされた巡航力とコーナーで脚を使える機動力、ロングスパート耐性が武器で、G1未勝利ながらもキャリア全体の価値は極めて高いものでした。
レース運びの再現性、距離・馬場の融通性、そして引退後に社会へもたらしたポジティブな影響は特筆に値します。
41戦の歩みは「勝つだけが価値ではない」ことを教えてくれ、今なおファンの心に生き続けています。