メジロパーマーとは?【競走馬プロフィール】
メジロパーマーは逃げてこそ真価を発揮するグランプリホースです。
1992年の宝塚記念(G1)と有馬記念(G1)を制し、春秋グランプリを達成した稀有な個性派で、通称「遅れてきた逃亡者」と称されました。
母系に欧州色の濃いスタミナ源を抱え、持久力と先行力の融合が最大の武器でした。
キャリア序盤の苦難と障害戦経由を経て覚醒し、古馬になってから頂点へ駆け上がった点は異例の出世曲線として語り継がれます。
生年月日 | 1987/03/21 |
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性別・毛色 | 牡・鹿毛 |
生産 | メジロ牧場(北海道・伊達) |
調教師 | 大久保正陽(栗東) |
馬主 | (有)メジロ牧場 |
通算成績 | 38戦9勝 |
主な勝ち鞍 | 宝塚記念(G1)、有馬記念(G1)、阪神大賞典(G2)、札幌記念(G3)、新潟大賞典(G3) |
父 | メジロイーグル |
母 | メジロフアンタジー(母父:ゲイメセン) |
目次
メジロパーマーの血統背景と特徴
父はスタミナと持続力に優れたメジロイーグル、母は欧州血統の重厚感を伝えるメジロフアンタジーで、母父に仏国の名種牡馬ゲイメセンを配した配合です。
この構成は心肺機能に根差した巡航力と粘着的な先行持久力を引き出し、淡々と刻む厳しいラップでこそ真価を示すタイプを後押ししました。
デビュー直後は体質面の弱さや成長の遅さから波に乗れませんでしたが、古馬になって筋力と心肺が噛み合うと一転して大舞台を制覇しました。
結果として宝塚記念(G1)と有馬記念(G1)を逃げ切った背景には、血の下支えによる持続的スピードの維持と道中の省エネ走法の両立がありました。
メジロパーマーの父馬・母馬の戦績と特徴
メジロイーグルは古くからのメジロ血脈らしい底力を伝え、産駒には先行して長く脚を使えるタイプが多い傾向でした。
母のメジロフアンタジーは勝ち上がりまでに時間を要したものの、体幹の強さと持久力を伝える牝系で、そこに母父ゲイメセン由来のパワーと心肺容量が重なって、厳しい流れに耐える資質を際立たせました。
同一世代のメジロ一族であるメジロライアン、少し上の世代のメジロマックイーンと比較すると、本馬は瞬間的な切れでは見劣る一方で巡航域の幅が広く、ハイラップの持久戦で強さを見せました。
特に直線までに主導権を取り、4角で意図的にペースを再加速させる形は、本馬の資質と陣営の戦術が噛み合った理想解でした。
総じて、血統が示す「タフさ」と厩舎の鍛錬が相まって、消耗戦での勝負強さにつながったと言えます。
メジロパーマーの血統から見る適性距離と馬場
ベストは芝2000〜3200で、コーナー4回の内回りや小回りコースで主導権を握る形が理想でした。
道悪は2歳時に重馬場で連勝した経歴が示す通り得意で、時計が掛かるコンディションほど先行持久力が生きました。
一方で超高速馬場や直線長い外回りでは決め手勝負に持ち込まれやすく、勝ち切るには序盤から隊列を固める工夫が必要でした。
ラップ傾向は前半やや速めからの平均化で、向正面で息を入れつつ4角で再加速して粘り込む「ビルドアップ型」がハマったと分析できます。
こうした型に合致した時にこそ逃げ切りの再現性が高まりました。
メジロパーマーのデビューまでの歩み
育成期は気負いが強く、キャンターで頭を上げやすい面がありましたが、反面ハミを取ってからの推進力は強烈でした。
坂路と周回コースで基礎を積み、トモに力が付くにつれてフォームが安定し、心拍の回復も早くなりました。
2歳夏の函館では新馬戦2着2回から未勝利、コスモス賞(オープン)と連勝し、早期にオープン入りを果たしました。
その後は骨折や体調面の難しさで足踏みしましたが、古馬になってから逃げ戦法に徹することで能力の出口が明確になりました。
メジロパーマーの幼少期から育成牧場での様子
幼少期は前向きさが強く、放牧地でも先頭に立ちたがる気性でした。
育成ではキャンターを長めに乗り、息の長い加速を繰り返すメニューで呼吸器系の耐久性を養いました。
坂路では2本目の後半でグッと前肢が伸びるようになり、体幹が締まってくるにつれてフォームの上下動が小さくなりました。
併せ馬では先頭に立ってからもリズムを崩さず、後ろから来られても再加速できる「粘り腰」が印象的で、これは後の逃げ切りに直結しました。
総じて、気性の強さを前向きな推進力へ転換することで巡航速度の高さが際立つようになりました。
メジロパーマーの調教師との出会いとデビュー前の評価
大久保正陽厩舎は早い段階から本馬の持久力に着目し、長めの距離での育成とテンから運ぶ訓練を徹底しました。
デビュー前の追い切りでは、単走よりも併せ馬で闘志を引き出すタイプで、前半から流しても終いが鈍らないのが強みと評価されました。
一方でテンションの上がりやすさが課題で、装鞍からパドックまでの精神面のケアに時間を割いたことも成長の鍵でした。
逃げか番手で主導権を握る戦法を意識して仕上げられ、結果的に実戦での役割が明確になったことがブレイクスルーにつながりました。
戦術と資質が噛み合ったときにこそ最大出力を安定して引き出せる馬でした。
メジロパーマーの競走成績とレース内容の詳細
2歳夏に重馬場で連勝して片鱗を見せた後、3歳時は苦戦が続きましたが、4歳札幌で条件特別から札幌記念(G3)を逃げ切り評価を一変させました。
翌年は新潟大賞典(G3)を経て宝塚記念(G1)を快勝、暮れの有馬記念(G1)では15番人気で大金星を挙げました。
翌1993年は阪神大賞典(G2)でレコードの走破時計を叩き出し、天皇賞(春)(G1)で3着と長距離路線でも地位を固めました。
秋はスプリント・マイル寄りのローテで苦戦もありましたが、逃げの再現性は高く、主導権を握れた時にこそ破壊力が最大化しました。
メジロパーマーの新馬戦での走りとその後の成長
新馬戦は函館芝1000で2戦連続2着でしたが、スタートから行き切る意志とスピードは初戦から顕示していました。
続く未勝利(芝1200)を逃げ切り、コスモス賞(オープン)でも重馬場を苦にせず押し切ったことで、持久力寄りの適性が明確になりました。
3歳期には体調面の波や骨折休養もあり、結果が出ない時期が続きましたが、4歳札幌で条件戦から力強く連勝して自信を取り戻しました。
その後は重賞のペースでも無理なく主導権を取り、息を入れるポイントを覚えたことで直線の粘りが増し、勝ち筋の再現性が上がりました。
学習と鍛錬の積み重ねが逃げの完成形を形作ったと言えます。
メジロパーマーの主要重賞での戦績と印象的な勝利
1991年の札幌記念(G3)はペースを締め上げて主導権を譲らず、古馬オープンでの通用力を証明しました。
1992年の新潟大賞典(G3)では距離2200での巡航力勝負を完遂し、次走の宝塚記念(G1)へ向けた足場を固めました。
宝塚記念(G1)は道中で息を入れて4角再加速の王道逃げ、暮れの有馬記念(G1)はスタートから主導権を握り直線まで譲らない押し切りで、低評価を覆す勝利でした。
翌年の阪神大賞典(G2)では3000の長丁場を淡々と刻み、レコードの3:09.2で逃げ切り、長距離でも地力上位を誇示しました。
大舞台での勝利はすべて「自分のリズム」を崩さないことが鍵で、その徹底こそが勝ちパターンでした。
メジロパーマーの敗戦から学んだ課題と改善点
高速馬場のマイル〜中距離や、外差しが強い流れでは直線で捕まる場面が目立ちました。
また秋の天皇賞(秋)(G1)や京都大賞典(G2)では位置を取れず苦しい展開になり、気分良く行けないと末脚勝負で分が悪い課題が露呈しました。
そこでゲートからの二完歩をスムーズに運ぶ練習や、道中での「緩急の付け方」を磨くことで、4角先頭から押し切る再現性が向上しました。
結果として阪神大賞典(G2)の逃げ切りにつながり、以後も主導権を握った際の安定度が増しました。
敗戦の分析を戦術に還元できた点が、本馬の持続的進化を支えました。
メジロパーマーの名レースBEST5
メジロパーマーの名レース第5位:札幌記念(G3)
1991年札幌記念(G3)は古馬相手の真っ向勝負でした。
スタートからハナへ、道中は12秒台を刻む一定ラップで息を整え、3〜4角でペースアップして直線は粘り込みました。
外からの追撃を寄せ付けない要因は、向正面で速めに流して後続の脚を削ったことと、4角の減速を最小限に抑えた操縦性でした。
この勝利で重賞級の先行持久力が証明され、以後の重賞路線での台頭につながりました。
逃げ切りの原型を確立した点で価値が高い一戦でした。
メジロパーマーの名レース第4位:新潟大賞典(G3)
1992年新潟大賞典(G3)は距離2200の持久戦で、スタート直後に主導権を握り、3コーナーから徐々にペースを上げて直線は押し切りでした。
ラストまで脚色の鈍りが少なかったのは、コーナーでのロスを抑える進路取りと、向正面での絶妙な息入れが機能したからです。
斤量54での恩恵を最大限に生かし、相手の得意な瞬発力勝負にさせない運びが光りました。
この勝利で次走宝塚記念(G1)への布石が整い、以後のG1制覇へと連結しました。
メジロパーマーの名レース第3位:阪神大賞典(G2)
1993年阪神大賞典(G2)は3000の長丁場を逃げ切り、レコードの3:09.2での圧勝でした。
前半は無理をせず平均ペース、2周目向正面で徐々にラップを上げ、3〜4角は惰性を殺さずコーナーワークで差を広げました。
直線も失速せずにゴールまで踏み切れたのは、道中での省エネと心肺能力の高さがあってこそです。
相手にはタケノベルベット、春にはライスシャワーら長距離の強豪が控えており、ここでの完勝は地力の証明でした。
長距離適性と戦術の完成度が噛み合った会心の逃走劇でした。
メジロパーマーの名レース第2位:宝塚記念(G1)
1992年宝塚記念(G1)は、序盤でハナを奪った後に中盤で上手く息を入れ、4角手前から二段加速で突き放す理想形でした。
ラストは外からの強襲を許さず、道中の主導権確保とコーナーでの遠心力の使い方が勝因でした。
人気薄ながら適性舞台で自分のリズムを刻めば強いという本質を示し、グランプリ初制覇を飾りました。
相手にはカミノクレッセら実力派が揃いましたが、ラップの設計で凌駕しました。
のちの有馬へとつながる戦術的完成を示す一戦でした。
メジロパーマーの名レース第1位:有馬記念(G1)
1992年有馬記念(G1)は15番人気での大金星でした。
序盤から果敢に主導権を握り、向正面で一息入れてから3〜4角で再加速、直線は二枚腰で押し切りました。
並びかけた強豪勢の脚を鈍らせたのは、隊列形成を主導し終始コーナーでロスの少ないラインを選択したことでした。
同年のジャパンカップ(G1)勝ち馬レガシーワールド、復活のトウカイテイオーら錚々たるメンバーが相手でも、戦術の徹底で上回ったのが印象的でした。
「逃げ」を極めて栄冠を掴んだ象徴的な金字塔です。
メジロパーマーの同世代・ライバルとの比較
同厩舎のメジロライアン、年長のメジロマックイーンら「メジロ三銃士」と並び称される存在で、先行持久力に特化した個性が際立っていました。
同世代からはマイル〜中距離の名馬と対戦し、位置を取れないと分が悪い一方、主導権を握ったときの粘りはトップクラスでした。
長距離ではライスシャワーに屈した天皇賞(春)(G1)が象徴的で、切れ味勝負での限界が見えました。
しかし有馬記念(G1)や宝塚記念(G1)のような持久戦では強豪を完封し、条件が噛み合えば最強クラスに伍する力を誇示しました。
メジロパーマーの世代トップクラスとの直接対決
1993年の天皇賞(春)(G1)ではライスシャワー、メジロマックイーンに続く3着で、長距離の地力上位を示しました。
ジャパンカップ(G1)ではレガシーワールドら国際色豊かなメンバーに揉まれて善戦し、コース形態や馬場によってパフォーマンスが変動することを再確認しました。
スプリント寄りのスワンS(G2)ではシンコウラブリイの速力に屈し、適性のレンジ外では苦しい点も明らかでした。
反面、内回り2200の宝塚記念(G1)では逃げて完勝し、コース適性と戦術の一致がどれほど重要かを示しました。
相手関係と舞台設定で結果が大きく揺れ動く馬であり、その分だけはまった時の破壊力は突出していました。
メジロパーマーのライバルが競走成績に与えた影響
メジロマックイーンの存在は長距離路線でのベンチマークとなり、仕上げ段階から高い基準を要求されました。
ライスシャワーの台頭は「切れ味勝負では分が悪い」という課題を可視化し、スタート直後からペースをコントロールする重要性を強調しました。
年末の有馬記念(G1)での勝利は、強豪相手でも戦術の徹底で覆せることを示す象徴で、以後のローテーションやレース作りに影響を与えました。
これらの強敵の存在が、本馬の逃げスタイルをより研ぎ澄ませ、主導権争いに対する意識を高める契機となりました。
結果として、条件が合致した際の勝負強さが一段と磨かれました。
メジロパーマーの競走スタイルと得意条件
理想は芝2000〜3200で内回りコースをハナまたは番手で運び、向正面で息を入れて4角で再加速する形です。
隊列を早めに固定し、コーナーで遠心力を利用してスピードを落とさない技術が重要で、ロスのないライン取りが勝敗を分けました。
道悪はプラス、超高速決着はマイナスに働きやすく、枠は外より内が望ましいタイプでした。
総じて「自分のリズム」が保てるかどうかが成否を決める決定因子でした。
メジロパーマーのレース展開でのポジション取り
ゲートを出て二完歩で加速し、1コーナーまでに隊列を主導するのが理想でした。
中盤はラップを緩め過ぎずに平均化し、3角手前から徐々にギアを上げることで後続の決め手を削ぎました。
4角は失速を最小限に抑える姿勢を維持し、直線入口で再度の加速を促すことで二枚腰を引き出しました。
もしハナへ行けない場合は番手からでもプレッシャーをかけ続け、相手の脚をためさせない運びに徹しました。
主導権を握る意識の徹底こそが、逃げ馬としての再現性を高める鍵でした。
メジロパーマーの得意な距離・馬場・季節傾向
距離は芝2000〜3200がベターで、特に2200〜3000での適性が高いタイプでした。
馬場は良〜稍重が標準、重でも苦にせず、時計の掛かるコンディションほどパフォーマンスが上がりました。
季節は夏〜初冬にかけての充実期が顕著で、札幌、新潟、阪神内回りなどで安定度が高まりました。
逆に秋の東京芝や京都外回りの高速戦では決め手勝負に巻き込まれやすく、逃げ切りの難度が上がりました。
環境と戦術が噛み合った時こそ最大効率で走れる馬でした。
メジロパーマーの引退後の活動と功績
引退後は種牡馬となり、障害重賞の京都ハイジャンプ(J-G2)を制したメジロライデンなど、持久力と前向きさを伝える産駒を送り出しました。
平地での大物級は多くないものの、前向きさとスタミナの遺伝でロングレンジの条件に適した産駒が目立ちました。
母父としても持久戦適性を底上げする影響が見られ、地方や障害での活躍馬を複数輩出しました。
「逃げの完成形」を血統的に継承し、個性派血脈として独自の存在感を示しました。
メジロパーマーの種牡馬・繁殖牝馬としての実績
代表産駒のメジロライデンは京都ハイジャンプ(J-G2)を勝ち、障害界で名を刻みました。
産駒は総じて先行力と息の長い脚を持ち、時計の掛かる芝や持久戦で良さが出ました。
繁殖牝馬としても気性の前向きさと体幹の強さを伝える傾向があり、配合の幅を広げるピースとして評価されました。
大種牡馬のような量的影響はないものの、個性の強い血を残すという意味で価値が高く、確かな足跡を刻みました。
持続力を伝える血としてニッチだが確かな需要を保ちました。
メジロパーマーの産駒の活躍と後世への影響
障害やダートの中距離で持久力を武器にする産駒が多く、ローカル場や小回りコースでの勝ち上がりが目立ちました。
母父としても先行力と粘着的な末脚を底上げし、地方・中央問わず堅実なパフォーマンスを引き出しました。
血統表にメジロイーグルやゲイメセンの要素が入ることで、心肺能力に裏付けられた巡航力が伝わりやすい点も特徴です。
結果的に「逃げ・先行の質」を受け継ぐラインとして、現代競馬においても独自の役割を担い続けています。
個性派の魅力を次代へ手渡したという点で、後世への波及効果は小さくありませんでした。
メジロパーマーのよくある質問(FAQ)
Q.主な勝ち鞍は?
A.宝塚記念(G1)、有馬記念(G1)、阪神大賞典(G2)、札幌記念(G3)、新潟大賞典(G3)です。
Q.ベストの適性距離は?
A.芝2000〜3200が得意で、特に内回り2200〜3000で主導権を握る展開に適性があります。
$1いずれも一線級で、本馬の適性を測る指標となった相手です。$2
メジロパーマーの成績表
日付 | 開催 | レース名 | 人気 | 着順 | 騎手 | 距離 | 馬場 | タイム |
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1989/08/12 | 函館 | 3歳新馬 | 1 | 2 | 柴田政人 | 芝1000m | 良 | 1:00.1 |
1989/08/26 | 函館 | 3歳新馬 | 2 | 2 | 柴田政人 | 芝1000m | 良 | 0:59.2 |
1989/09/09 | 函館 | 3歳未勝利 | 1 | 1 | 田面木博公 | 芝1200m | 重 | 1:13.6 |
1989/09/23 | 函館 | コスモス賞(OP) | 1 | 1 | 田面木博公 | 芝1700m | 重 | 1:47.7 |
1989/10/14 | 京都 | 萩S(OP) | 5 | 9 | 村本善之 | 芝1200m | 良 | 1:11.9 |
1989/11/25 | 京都 | 京都3歳S(OP) | 8 | 8 | 田島良保 | 芝1600m | 良 | 1:38.2 |
1990/06/17 | 札幌 | エルムS(1500万下) | 5 | 5 | 河内洋 | 芝1800m | 良 | 1:51.7 |
1990/07/08 | 札幌 | 報知杯大雪H(1500万下) | 6 | 6 | 松永幹夫 | ダ1700m | 良 | 1:45.1 |
1990/07/22 | 札幌 | 道新杯(OP) | 11 | 5 | 松永幹夫 | 芝1800m | 良 | 1:49.9 |
1990/08/05 | 函館 | 巴賞(OP) | 7 | 8 | 松永幹夫 | 芝1800m | 良 | 1:48.0 |
1990/08/19 | 函館 | 函館記念(G3) | 10 | 7 | 松永幹夫 | 芝2000m | 良 | 2:00.4 |
1991/03/02 | 中京 | 鈴鹿S(1500万下) | 13 | 12 | 村本善之 | 芝1200m | 良 | 1:10.8 |
1991/03/24 | 京都 | 大原S(1500万下) | 11 | 3 | 角田晃一 | 芝2400m | 稍重 | 2:26.5 |
1991/04/06 | 京都 | 大阪城S(OP) | 6 | 4 | 村本善之 | 芝2400m | 良 | 2:27.2 |
1991/04/28 | 京都 | 天皇賞(春)(G1) | 16 | 13 | 村本善之 | 芝3200m | 良 | 3:21.6 |
1991/06/08 | 札幌 | ニセコ特別(500万下) | 1 | 2 | 松永幹夫 | 芝1800m | 良 | 1:48.7 |
1991/06/22 | 札幌 | 十勝岳特別(500万下) | 1 | 1 | 松永幹夫 | 芝1800m | 良 | 1:48.8 |
1991/06/30 | 札幌 | 札幌記念(G3) | 4 | 1 | 松永幹夫 | 芝2000m | 良 | 2:00.9 |
1991/08/04 | 函館 | 巴賞(OP) | 2 | 6 | 松永幹夫 | 芝1800m | 不良 | 1:51.7 |
1991/08/18 | 函館 | 函館記念(G3) | 4 | 5 | 松永幹夫 | 芝2000m | 良 | 1:59.8 |
1991/10/06 | 京都 | 京都大賞典(G2) | 6 | 7 | 角田晃一 | 芝2400m | 良 | 2:29.7 |
1991/11/02 | 京都 | 障害4歳以上未勝利 | 1 | 1 | 押田年郎 | 障3000m | 良 | 3:24.5 |
1991/12/01 | 阪神 | 障害4歳以上400万下 | 1 | 2 | 押田年郎 | 障3150m | 良 | 3:32.5 |
1992/03/29 | 阪神 | コーラルS(OP) | 7 | 4 | 安田隆行 | 芝1400m | 重 | 1:24.8 |
1992/04/26 | 京都 | 天皇賞(春)(G1) | 12 | 7 | 山田泰誠 | 芝3200m | 良 | 3:22.9 |
1992/05/17 | 新潟 | 新潟大賞典(G3) | 7 | 1 | 山田泰誠 | 芝2200m | 良 | 2:13.4 |
1992/06/14 | 阪神 | 宝塚記念(G1) | 9 | 1 | 山田泰誠 | 芝2200m | 良 | 2:18.6 |
1992/10/11 | 京都 | 京都大賞典(G2) | 2 | 9 | 山田泰誠 | 芝2400m | 良 | 2:26.1 |
1992/11/01 | 東京 | 天皇賞(秋)(G1) | 10 | 17 | 藤田伸二 | 芝2000m | 良 | 2:00.4 |
1992/12/27 | 中山 | 有馬記念(G1) | 15 | 1 | 山田泰誠 | 芝2500m | 良 | 2:33.5 |
1993/03/14 | 阪神 | 阪神大賞典(G2) | 3 | 1 | 山田泰誠 | 芝3000m | 良 | 3:09.2 |
1993/04/25 | 京都 | 天皇賞(春)(G1) | 4 | 3 | 山田泰誠 | 芝3200m | 良 | 3:17.6 |
1993/06/13 | 阪神 | 宝塚記念(G1) | 2 | 10 | 山田泰誠 | 芝2200m | 良 | 2:21.5 |
1993/10/10 | 京都 | 京都大賞典(G2) | 3 | 9 | 山田泰誠 | 芝2400m | 良 | 2:25.7 |
1993/10/30 | 京都 | スワンS(G2) | 3 | 11 | 山田泰誠 | 芝1400m | 重 | 1:22.7 |
1993/11/28 | 東京 | ジャパンC(G1) | 11 | 10 | 山田泰誠 | 芝2400m | 良 | 2:25.4 |
1993/12/26 | 中山 | 有馬記念(G1) | 9 | 6 | 横山典弘 | 芝2500m | 良 | 2:31.9 |
1994/01/23 | 阪神 | 日経新春杯(G2) | 2 | 2 | 山田泰誠 | 芝2500m | 良 | 2:35.8 |
メジロパーマーのまとめ
メジロパーマーは、遅れてきた覚醒と明確な戦術で頂点を掴んだ個性派の逃げ馬でした。
血統が示すスタミナと巡航力を土台に、主導権を握ることで大舞台を制し、1992年の春秋グランプリ制覇で存在感を確立しました。
引退後も持久力と前向きさを伝え、競馬史に独自の足跡を残しました。
条件が噛み合えば無類の強さを見せる逃げの完成形として記憶されるべき名馬です。