1974年生まれ 牡馬

マルゼンスキー完全ガイド|血統・成績・エピソードで辿る生涯

マルゼンスキー






マルゼンスキー完全ガイド|血統・成績・エピソードで辿る生涯


マルゼンスキーとは?【競走馬プロフィール】

マルゼンスキーは1976〜77年にかけて中央競馬で8戦無敗を誇った伝説的スプリンター/マイラーです。
2歳時の中山朝日杯3歳ステークスを1分34秒4の当時2歳日本レコードで13馬身差の圧勝とし、〈スーパーカー〉の異名を獲得しました。
父は英三冠馬の直仔ニジンスキー、母は名牝クイルの直仔でバックパサーを父にもつシルという世界的超良血で、米欧の伸びやかなストライドと日本のスピード競馬に適した軽さを併せ持ちました。
当時の制度上持込馬はクラシック出走が不可だったため日本ダービーなどには出られませんでしたが、明け3歳の春以降もオープン戦を圧勝し、中山の日本短波賞では不良馬場で7馬身差、札幌ダ1200では1分10秒1の日本レコードで10馬身差を記録してシーズンを締めました。
引退後は種牡馬としてホリスキースズカコバンサクラチヨノオーレオダーバンなど多くの重賞ウイナーを輩出し、母父としてもスペシャルウィークらに強烈な影響を残しました。
8戦全勝という短いキャリアながら、血統・内容・着差の三点で“世代最強、歴代屈指”の評価を確立した存在です。

生年月日 1974年5月19日
性別・毛色 牡・鹿毛
生産 橋本牧場(北海道早来町)
調教師 本郷重彦/美浦
馬主 橋本善吉
通算成績 8戦8勝[8-0-0-0]
主な勝ち鞍 朝日杯3歳S(1976年)/日本短波賞(1977年)/4歳OP(中京・東京)/札幌・短距離S(1977年)
ニジンスキー
シル(母父:バックパサー、祖母:クイル






目次

本記事では血統背景、デビューまでの歩み、主要重賞を含む競走成績の推移、名レースBEST5、同世代比較、競走スタイル、引退後の歩みを順に解説します。
重要語句は赤マーカーで強調し、馬名は青マーカーで示します。
必要に応じて目次から各章へ移動し、知りたいトピックをピンポイントでご覧ください。






マルゼンスキーの血統背景と特徴

マルゼンスキーは父ニジンスキー、母シルという配合で、父系にノーザンダンサー、母系に米最優秀2歳牝馬クイルバックパサーを併せ持つ世界水準の名血です。
ニジンスキーは英クラシック三冠馬で、産駒は大きなストライドと持続的スピード、そして道中の折り合いの良さを伝えるのが特徴です。
シルは競走成績以上に繁殖牝馬としての資質が高く、柔らかい背中と力強いトモの推進力を受け継がせました。
この配合は“トップスピードの滞空時間が長く、減速耐性が高い”という長所を早くから発現させ、2歳秋から好位先行でロングスパートに持ち込む勝ち筋を確立しました。
さらに、母父バックパサー由来の粘り腰と心肺機能の強さが、道悪・ダートも苦にしない万能性を補強。
その結果、芝ではマイルで圧倒的、芝1800の不良馬場でも7馬身差、ダ1200では1分10秒1の日本レコードという、表裏のない“真の総合力”を示しました。
血統表のどこを切っても一級のスタミナとスピードが滲み出る構成で、実戦では〈速いのに止まらない〉という唯一無二の個性へと結晶しています。

マルゼンスキーの父馬・母馬の戦績と特徴

ニジンスキーノーザンダンサーの最高傑作の一頭で、レースでも種牡馬でも“長い脚”の能力を産駒へ安定的に伝えました。
代表産駒の多くがクラシックディスタンスで結果を残す一方で、マイル域でも高レートを出せるのは大きなストライドと低い重心姿勢の恩恵です。
マルゼンスキー自身もこの資質を継ぎ、先行してからのロングスパートと、2枚目・3枚目のギアを連続で使える粘りを武器としました。
シルの父バックパサーは米年度代表馬で、直進性の高い推進力と精神的な落ち着きを伝える名血。
さらに祖母クイルは米国の2歳牝馬チャンピオンで、繊細なスピードの質を付加すると同時に、成長してもパフォーマンスが落ちにくい“体力の芯”を伝えました。
総じて父系が供給する底力と母系が供給する俊敏さのバランスが絶妙で、2歳時点から完成度が高く、古馬級の巡航速度を維持できた点が配合上のハイライトです。

マルゼンスキーの血統から見る適性距離と馬場

ベストレンジは1600〜2000メートルで、とくに1600メートルでは高い再現性を誇ります。
道中で極端に緩めず平均的にラップを刻む競馬で効力が最大化し、スローからの瞬発戦よりも平均〜ハイペースの持久戦で真価が表れます。
母系の影響で道悪・ダートでも推進力が落ちず、札幌ダ1200の日本レコードは上記の適性を端的に裏付ける実例です。
また、骨量に富む体躯と強靭な前・後肢の連動性により、コーナーで減速せずに回れるため小回りコースでもパフォーマンスが鈍りません。
季節面では冬場でもパフォーマンスが落ちにくく、乾いた馬場・力の要る馬場を問わず安定。
総合すると、先行して長く脚を使える舞台なら凡走のリスクが極小化する万能型です。






マルゼンスキーのデビューまでの歩み

マルゼンスキーは北海道・早来で育ち、馴致の段階から“走り方の再現性”が高いと評価されました。
口向きが素直で、ハミに軽く触れるだけでスッと前へ出る前向きさ、キャンターのリズムが乱れない安定感が際立っていました。
育成では速い時計は多用せず、基礎体力の形成と骨量を損なわない筋力づくりを優先。
美浦の本郷厩舎に入ってからは、週2〜3本のキャンターで呼吸を整え、週1回の坂路で後肢の踏み込みを強化する“質を重視した負荷管理”が徹底されました。
脚元への配慮から強い攻め馬は控えめでしたが、1本1本の内容は濃く、終い重点の加速でフォームを崩さずにスピード域を高めていきました。
この積み重ねが、デビュー戦からの大差勝ち、そして暮れの王者決定戦へ続く快進撃の下地になりました。

マルゼンスキーの幼少期から育成牧場での様子

幼駒時から肩の角度が寝た理想的な前駆と、トモの筋肉量が目を引き、キャンターでは常に後肢から前へエネルギーが伝わる美しい連動性を見せました。
放牧地では先頭に立つとリラックスできる気質で、群れを率いる立場を自然に取るタイプ。
トレッドミルや周回コースでは、ラストに自然とラップが速くなるネガティブスプリット型の動きが再現され、追えば追うほどフォームが整う優等生でした。
育成スタッフは“手前替えが滑らかで、替えた直後にストライドが一段伸びる”点を高く評価し、将来的な中距離適性も視野に入れて基礎を作りました。
精神面では環境変化に強く、輸送やゲートでも落ち着きがあり、実戦でのロス要素が少ないことが早くから確認されていました。

マルゼンスキーの調教師との出会いとデビュー前の評価

本郷重彦調教師は、脚元に配慮しつつも“質の高い一本”を重視するトレーニング哲学の持ち主でした。
稽古は終い重点の加速ラップを軸に、フォームの再現性を最優先。
助手・騎手の跨り感は「促せば自然に前へ行き、ギアを上げると沈むように伸びる」で一致し、古馬準OP級の時計を馬なりで計時することもありました。
こうした裏付けから、陣営の評価は“勝ち方を見る”に到達。
迎えた新馬戦は先行して後続を大差で千切り、いちょう特別、府中3歳Sと取りこぼしなく連勝。
暮れの王者決定戦へ向けて、より強気の前受け策を採用して完成形に近づいていきました。






マルゼンスキーの競走成績とレース内容の詳細

デビューは1976年10月の中山芝1200。
スタートから先頭に立って大差勝ちを収め、続く中山・いちょう特別も9馬身差で連勝しました。
東京の府中3歳ステークスは重馬場・5頭立ての特殊条件で、強豪ヒシスピードとの叩き合いをハナ差で退ける辛勝。
この経験を踏まえ、暮れの朝日杯3歳ステークスでは序盤から主導権を握り、13馬身差・1分34秒4の2歳日本レコードで圧勝しました。
明け3歳は中京・東京のオープンを連勝後、6月の日本短波賞を不良馬場で7馬身差。
最終戦の札幌・短距離Sではダ1200を1分10秒1の日本レコードで10馬身差圧勝し、無敗のままターフを去りました。
勝ち筋は終始一貫して“好位先行からのロングスパート”で、舞台・馬場が変わってもパフォーマンスが揺らがない再現性が際立っていました。

マルゼンスキーの新馬戦での走りとその後の成長

新馬戦はゲートこそ平均発進でしたが、二完歩目から一気にトップスピードへ。
向正面で隊列を伸ばし、3〜4角は手前を替えながら減速せずに通過。
直線は軽く促されるだけで大差勝ちを決め、能力の“入口”で既に次元の違いを見せました。
続くいちょう特別は9馬身差の圧勝で、先行しながらも終いの脚が鈍らない資質を再確認。
府中3歳Sではヒシスピードに一度前へ出られながら差し返す勝負根性を披露し、暮れの朝日杯で完成形に到達しました。
レースを追うごとに課題解決の質が上がり、技術と体力の成長が足並みを揃えた理想的な曲線を描きました。

マルゼンスキーの主要重賞での戦績と印象的な勝利

ハイライトは中山マイルの朝日杯3歳ステークスでの“独走劇”。
好位外で砂を被らない位置を確保し、3〜4角で馬なりのまま先頭に並びかけ、直線はストライドを一段伸ばして突き放しました。
記録は1分34秒4、着差は13馬身。
翌年の日本短波賞では不良馬場を苦にせず、コーナーで加速して直線序盤で勝負を決めました。
札幌のダ1200ではテンの速さと推進力を最大化し、1分10秒1の日本レコードで10馬身差。
条件が変わっても勝ち方がブレない“本質の強さ”が、内容と時計の両面で証明されました。

マルゼンスキーの敗戦から学んだ課題と改善点

黒星はありませんが、府中3歳Sの辛勝は陣営にとって重要な学びになりました。
直線でヒシスピードに並びかけられた場面から、前受けの強気策と手前替えの最適化、そして直線入口での進路確保の重要性が再確認されました。
以後は“緩めすぎない平均的ラップ”で他馬の末脚を削ぎ落とし、勝負所で一段とストライドを伸ばすパターンを徹底。
脚元への配慮から攻め馬は必要最小限に抑え、レース間隔を活用して仕上げる方針が、春以降の大楽勝連発へと結びつきました。






マルゼンスキーの名レースBEST5

マルゼンスキーの名レース第5位:1977年1月22日・中京「4歳オープン」

休み明けの試運転で、内容は“余力残しの完勝”。
2番枠から躊躇なく好位の外へ取り付き、向正面ではラップを落としすぎず平均域を維持。
3角で外から来られても動じず、直線は手前替えと同時に加速し、2馬身半差でフィニッシュしました。
時計1分36秒4という数字以上に、テンの出脚と終いの持久力の同居が確認できた意味が大きく、〈休養明けでもフォームが崩れない〉という再現性を示した価値ある一戦です。
相手のジョークィックは地味ながら堅実なタイプで、能力比較の物差しとして十分。
ここから先の大舞台に向けて、仕上がり途上でも他馬を凌駕できる“地力の差”が明確になりました。

マルゼンスキーの名レース第4位:1977年5月7日・東京「4歳オープン」

東京芝1600で7馬身差の圧勝。
スタートから好位外で砂を避け、直線は進路を確保してからギアアップ。
ラスト3ハロンは実質加速ラップで、着差が示す通り能力は一枚どころか二枚抜けていました。
2着のロングイチーはスピード型で、流れが向いた相手に対し、それでも余力を残したまま突き放した内容は、東京でも中山でも同じ競馬ができる万能性の証明でした。
この時点で“夏に向けての完成度”はほぼ最高潮に近づいており、次走の日本短波賞・札幌の短距離Sへ向けて理想的な助走となりました。

マルゼンスキーの名レース第3位:1976年11月21日・東京「府中3歳ステークス」

重馬場・少頭数・強敵ヒシスピードという3つの条件がそろい、着差“ハナ”の辛勝。
序盤は平均より遅いペースで進み、直線半ばで並ばれる苦しい展開ながら、手前替えで再加速して差し返しました。
内容は苦戦でも、最後にもうひと伸びする父系譲りのフォームと勝負根性を可視化した価値は大きく、次走の朝日杯での前受け策につながる分岐点となりました。
“負けていてもおかしくない”局面を勝ち切った経験が、以後の圧勝劇を支える心理的安定をもたらしたと言えます。

マルゼンスキーの名レース第2位:1977年6月26日・中山「日本短波賞」

不良馬場の芝1800で7馬身差の圧勝。
向正面から早め進出し、3〜4角のコーナーワークで加速。
直線序盤でセーフティリードを取り、そのまま押し切りました。
2着のプレストウコウは後に菊花賞を制する実力馬で、相手関係の裏付けも十分。
泥を高く跳ね上げる力強い掻き込みは、脚抜きの悪い馬場でもスピードを落とさない“推進力の質”を証明し、幅広い適性を世に知らしめました。

マルゼンスキーの名レース第1位:1976年12月12日・中山「朝日杯3歳ステークス」

13馬身差・1分34秒4の2歳日本レコードでの歴史的圧勝。
好位外から3〜4角で馬なりのまま先頭へ並びかけ、直線は完全な独走。
鞍上が抑え気味でもなお伸び続け、最後は後続を子ども扱いしました。
スピードの絶対値と持続力、コーナーで減速しないフォームの優越、そして“自ら厳しい流れを作って勝ちに行く”主導権の握り方。
全てが噛み合い、〈最強候補〉の評価を一気に決定づけた生涯ベストの一戦でした。






マルゼンスキーの同世代・ライバルとの比較

制度上クラシックに出られなかったため、直接の“頂上決戦”は実現しませんでしたが、比較対象としては同期のヒシスピード、春のトライアルを制したプレストウコウらが挙げられます。
さらに一歳上の“TTG”=トウショウボーイテンポイントグリーングラスとの仮想比較もしばしば語られました。
定量面では2歳時のレコード、3歳春の着差、夏の日本レコードという“異なる軸の指標”で優位性を示し、能力の普遍性を裏付けています。
レベルの高い相手関係や特殊馬場でもパフォーマンスが揺らがない点が、“相手なり”ではなく“自分の競馬で勝ち切る”最強候補たる所以です。

マルゼンスキーの世代トップクラスとの直接対決

唯一の緊張感あるマッチレースは府中3歳Sでのヒシスピードとの叩き合いでした。
この経験以降、陣営は“直線入り口での進路確保”と“前受け気味に主導権を握る”方針を強化。
結果として朝日杯では13馬身差のレコード勝ち、翌年の日本短波賞では不良馬場で7馬身差、札幌ダ1200では10馬身差と、条件の違いをものともせず同世代を圧倒しました。
直接対戦の層は薄くとも、個々のレースの内容と相手の後続実績が、世代最強の根拠を十分に補強しています。

マルゼンスキーのライバルが競走成績に与えた影響

強力な同世代の存在は、マルゼンスキー陣営の戦略選択を洗練させました。
とくにヒシスピードの存在は、暮れの王者決定戦で“緩めない主導権掌握”を採用させる動機となり、以降の圧勝劇へ結実。
また、持込馬ゆえクラシックに出られない制約が、春のオープン戦を積み重ねる“段階調整”型ローテーションにつながり、完成度の高さを維持したまま夏まで駆け抜ける下地になりました。
仮想ライバルとして語られるトウショウボーイテンポイントグリーングラスに対しても、先行力と持続力の総合値で見劣らないという評価が多く、当時の関係者が“互角以上”と評した背景には、長時間トップスピードを維持できる巡航性能がありました。






マルゼンスキーの競走スタイルと得意条件

理想は“好位外から3〜4角で馬なり進出、直線序盤で突き放す”運びです。
スタート後の二完歩でトップスピードに乗れる出脚、コーナーで減速しないフォーム、直線で一段ストライドを伸ばすギアチェンジ。
これらが噛み合い、ハイペースでもスローでも自分のリズムで押し切ることが可能です。
馬場適性は広く、良・重・不良、そしてダートでもパフォーマンスが鈍らず、厳しいラップほど相対優位が拡大します。

マルゼンスキーのレース展開でのポジション取り

二完歩目の加速効率が高く、序盤で理想のポジションを取りやすいのが強みです。
道中は外目で躓かずに回り、3コーナーから呼吸を乱さずジワッと速度を上げ、4コーナーは減速ゼロに近い回転で通過。
直線は手前替えと同時にストライドを伸ばし、鞍上のアクション最小限で差を広げます。
逃げ・先行・番手差しのいずれでも崩れず、展開の罠に嵌りにくい普遍性が武器です。

マルゼンスキーの得意な距離・馬場・季節傾向

最適距離はマイル前後で、1800メートルまでが守備範囲。
良馬場ではスピードの絶対値で他馬をねじ伏せ、重・不良ではパワー型の推進力で圧倒します。
札幌ダ1200の日本レコードが示すようにダート短距離でも一級で、季節面では寒冷期でもパフォーマンスの低下が小さい安定型。
総合的に“舞台不問・馬場不問”の稀有なオールラウンダーです。






マルゼンスキーの引退後の活動と功績

引退後は種牡馬として即座に成果を上げ、初期からホリスキー(菊花賞レコード)を送り出して評価を高めました。
その後もスズカコバン(宝塚記念)、サクラチヨノオー(朝日杯3歳S・日本ダービー)、レオダーバン(菊花賞)など、王道路線の頂点に立つ産駒を多数輩出。
種牡馬ランキング上位の常連として80〜90年代の日本競馬を牽引し、1990年にはJRA顕彰馬に選出されました。
母父としてはスペシャルウィークらの活躍で存在感がさらに増し、スピードの持続力と勝負強さという遺伝形質を広く後世に伝えました。

マルゼンスキーの種牡馬・繁殖牝馬としての実績

直仔の成功例は前述の通り多岐にわたり、王道GⅠの勲章を複数もたらしました。
配合面ではマイラー〜中距離型の牝馬と相性が良く、スピードの底上げに加えて前向きさとタフネスを付与する傾向が安定。
繁殖牝馬の質が年々向上した1980年代以降も存在感を保ち、日本の主流条件に即した“勝ちやすい形”を持つ産駒を多数残しました。
母父としてもクラシック級を継続的に送り、母系強化の起点として重要な血脈となっています。

マルゼンスキーの産駒の活躍と後世への影響

父系ではホリスキースズカコバンらが柱となり、90年代以降は母父としての評価が加速度的に上昇。
とりわけスペシャルウィークの成功は、〈スピード×スタミナ〉の理想的融合という配合価値を可視化し、日本の主流血脈にマルゼンスキーの遺伝子を深く刻みました。
〈速くて止まらない〉という競走能力の本質は、配合論の文脈でも現在に至るまで生き続けています。






マルゼンスキーのよくある質問(FAQ)

なぜクラシック(三冠)に出走できなかったのですか?

当時の規定で持込馬(母胎内受胎での輸入馬)や外国産馬はクラシックへの出走が制限されていました。
そのため能力的には十分でありながら、日本ダービーなどの三冠競走には出られませんでした。
この制度はのちに緩和されますが、現役時のマルゼンスキーには適用されませんでした。

最も強さが可視化されたレースはどれですか?

一般には中山マイルの朝日杯3歳ステークス(1分34秒4=当時2歳日本レコード、13馬身差)が挙げられます。
ほかにも不良馬場の日本短波賞(7馬身差)や札幌ダ1200の日本レコード(1分10秒1・10馬身差)など、条件不問で“別次元”を示した一連の走りが評価を補強します。

“TTG”との力関係はどう評価されますか?

直接対戦はありませんが、先行力と持続力、内容と着差の裏付けから〈互角以上〉と評する向きが多いです。
もっとも仮定の議論であり、同時代の名馬トウショウボーイテンポイントグリーングラスの偉業も最大限に尊重されるべきです。

代表産駒は?どんな特徴を伝えましたか?

ホリスキー(菊花賞・レコード)、スズカコバン(宝塚記念)、サクラチヨノオー(朝日杯3歳S・日本ダービー)、レオダーバン(菊花賞)などが代表例です。
共通項は“好位からのロングスパート”と、厳しいラップでも止まらない持久力です。

ベストの距離・舞台は?

ベストはマイル前後で、1800メートルまで守備範囲。
中山・東京の芝で高い再現性を示し、札幌ダ1200でも日本レコードを樹立しており、舞台適性は極めて広い部類です。






マルゼンスキーの成績表

日付 開催 レース名 人気 着順 騎手 距離 馬場 タイム
1976/10/09 中山 3歳新馬 1 1 中野渡清一 芝1200 1:11.0
1976/10/30 中山 いちょう特別(300万下) 1 1 中野渡清一 芝1200 1:10.5
1976/11/21 東京 府中3歳S(OP) 1 1 中野渡清一 芝1600 1:37.9
1976/12/12 中山 朝日杯3歳S(OP) 1 1 中野渡清一 芝1600 1:34.4
1977/01/22 中京 4歳オープン 1 1 中野渡清一 芝1600 1:36.4
1977/05/07 東京 4歳オープン 1 1 中野渡清一 芝1600 1:36.3
1977/06/26 中山 日本短波賞 1 1 中野渡清一 芝1800 不良 1:51.4
1977/07/24 札幌 短距離S(OP) 1 1 中野渡清一 ダ1200 1:10.1






マルゼンスキーのまとめ

マルゼンスキーは、世界的良血に裏付けられたスピードと持久力、そして再現性の高いフォームで“無敗”を貫いた未完の最強候補です。
芝・ダート・道悪を問わず同じ競馬で押し切れる普遍性、内容と時計の両面で突出したパフォーマンス、短いキャリアでも世代の記憶を塗り替えたインパクト。
種牡馬・母父としても日本の主流血脈に深く刻まれ、後世にまで影響を及ぼしました。
クラシック不出走という制約が伝説性を高めつつ、走りの純度は今なお語り継がれる水準にあります。


-1974年生まれ, 牡馬
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